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2012-07-27

マウリッツハイス美術館展

夕方、東京都美術館で開催されている「マウリッツハイス美術館展」に行きました。
この美術展の注目作品は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」です。
夕方だったので、ものすごい混雑ではありませんでしたが、「真珠の耳飾りの少女」の作品のところでは、長い行列になっていました。
武井咲さんが、この「真珠の耳飾りの少女」の扮装をした写真・動画がありますが、とてもよく似ていると思います。

東京都美術館:

私は、以前このマウリッツハイス美術館に行ったことがあります。小さな美術館で、鑑賞者も少なくゆっくりと鑑賞することができました。残念ながら、このときは、「真珠の耳飾りの少女」は展示されていませんでした。

2012-07-23

デジカメ

8月中旬に旅行するため、デジカメを新しく購入しました。
このデジカメは、今持っているデジカメの後継機で、それと較べて
・ パノラマ写真が撮れる
・ フルハイビジョン映像の動画が撮れる
・ 3D写真が撮れる → 使う予定なし(3D対応テレビを持っていない)
・ GPS機能がありディスプレイに地図を表示することができる
・ 光学20倍ズーム
などの機能が強化されています。
価格は、同じようなものですが随分便利になっています。

カシオが1995年にデジカメ「QV-10」を発売したころ、エレクトロニクスショーで、このQV-10を見て驚きました。それから、画素数がどんどん増え、また、当時からは考えられないような機能も付いてきました。技術の進歩に感心させられます。

欧米の人から見た日本人の特徴(ステレオタイプ)のひとつに、「カメラをぶらさげている」というのがありました。しかし、今では、世界中の人がデジカメをぶら下げているような感じがします。

これも、マンガと同じように、日本の文化が世界に広がったということでしょうか。

新しデジカメを持って、近所で写真を撮ってみました。

近所の公園:

この鳥はオナガでしょうか、近所でよく見かけます。
光学20倍ズームのおかげで撮ることができました。

近所にあるマリーナ:

パノラマ写真。ここに載せるため、かなり縮小しました。撮る対象を考える必要があります。

2012-07-19

誤算

今日のウォールストリートジャーナルWeb版に「スマホ戦略を誤ったノキア 膨らむ開発費、ユーザー動向つかめず」という記事がありました。
在職していた会社の主要得意先の一つがこの会社だったので、興味深く読みました。

iPhoneが出てくる前は、携帯の王者でした。ヨーロッパに行ったとき、町で見かける携帯ショップは、ほとんどノキア製品の感がありました。iPhone、iPadのような製品をAppleに先行して開発しておきながら、うまく市場に投入できなかったことは残念です。ただし、iTuneのような仕組みまで開発していなければ、今日のiPhoneのようにはなっていないと思います。

今の王者Appleも戦略を誤れば、同様になってしまうのでしょう。きびしい世界です。

2012-07-10

池と花壇

先日、団地内の池の清掃を行いました。枯葉が池に落ちるので、池の底に枯葉がたまると池の清掃をします。
住宅管理組合の情報化専門委員会のメンバーが、委員会とは関係ないのですが、池の管理と年末のイルミネーションを担当しています。

3月頃、池の金魚がほとんどいなくなりました。目撃情報によると、大きな鳥(サギ?)が、大きな嘴で、ごっそり飲み込んだというものでした。
急きょ、金魚を購入し、また、鳥が近づかないようにするために、金魚がよく集まっている場所を網で覆いました。ところが、網のために、金魚がよく見えないということで、網の代わりに紐を這わすようにしました。本当は、紐もない方がいいのですが、仕方ありません。

この池は、なんとなく、みんな「くじら池」と呼んでいます。池の形がクジラのような形になっているためです。大きな魚は2匹のみで、あとは小さな金魚などです。また、カメも8匹います。
子どもから大人まで、結構人気のある池になっています。金魚やカメを眺め癒されています。



この花壇は、年に数回花を植えかえています。先日、植え替えが行われました。


2012-07-07

東京駅丸の内駅舎


東京駅の丸の内駅舎が、10月1日にリニューアルオープンします。
それに関連して、江戸東京博物館友の会の会報に東京駅丸の内駅舎についての記事を私が書くことになりました。

東京駅について調べてみたら、トリビア的なことがいくつかありました。
● 明治5年(1872)に新橋→横浜間の鉄道の開通、
  明治16年(1883)に上野-熊谷間が開通
  東京駅の開設、新橋-上野間の鉄道の開通は、大正3年(1914)でした。
● 新橋-横浜間の鉄道は官営ですが、そのほかの鉄道は民営でした。
  1906年に「鉄道国有化法」が制定され、基幹路線が国有化されました。
● 大正に作られた東京駅丸の内駅舎の基礎に、松の杭が10800本打たれていました。
  これによって、関東大震災でも被害はありませんでした。
● 昭和23年まで、南口は乗車専用、北口は降車専用でした。

東京駅丸の内駅舎のリニューアルについては、次のような情報があります。

東京駅丸の内駅舎保存・復原工事及び八重洲口開発第2期工事について.

全体が重要文化財 復元された東京駅赤レンガ駅舎